2005年8月29日

こんなはずじゃなかったのに

出版ニュース

職場では『出版ニュース』が毎号回覧されるのですが、図書館にも関係の深い出版界の問題、事情、著作権に関する記事など、結構面白くて毎回楽しみにしています。8月下旬号のトップ論文は、田北康成「共謀罪、改憲で脅かされる表現の自由」です。個人情報保護法に対する過剰反応的な対応、イラク派兵反対や君が代斉唱反対といった政治的ビラ配りで逮捕されるといった公権力による恣意的な思想弾圧事件を取り上げ、オウム事件とか、プライバシーといった「賛意を得やすい分かりやすさ」を隠れ蓑に、徐々に政府による圧力が大きくなってきているのではないかという懸念を提示しています。

私は君が代斉唱と言われたら帽子を取って歌うけど、だからといって誰も彼もが起立して斉唱しなくちゃいけないとは思わないし、イラク派兵はあの時の決断としては間違いじゃなくても、そろそろ引き際を考えてもいいのではないかと思っているけれど、その主張をビラ配りすることで逮捕されるってのはなんか変じゃないかと思うんですよね。別に大学合格者名なんて、なんで週刊誌で発表しなくちゃならないんだ、とは思うけど、だからといってマスコミの言うことをいちいち法律で縛ってたら、表現の自由は無くなってしまいます。なんとなく、本当になんとなくなんですが、最近窮屈になっている気がしませんか?著作権の問題もそうだし(CDからテープにダビングして車やウォークマンで聞くなんて誰でもやってたじゃん、なんでCDからiPodに入れちゃなんないのよ)、この記事に書かれている懸念も不気味。多分、戦前・戦中の思想弾圧も、最初はそんなつもりじゃなかったと思うんですよね。でも政府としては、事をうまく進めるには、反対派の声なんて聞こえない方が良い、と思ったとたん、その法律を「悪用」できることを思いつく。いや、悪用しているつもりもないのかもしれないですね。だって彼らにとっては「正しいこと」なんだもん。正しいことなんだから、誰もがやらなくちゃならない、正しいことが出来ない人は、悪い人。「お国のため」が正しいことなら、その「お国に背く」のは犯罪者。ここでも二項対立理論が登場です。

今、日明恩の『埋み火』を読んでいるのですが(面白いです)、その中で父親を尊敬しているある青年が、自分の父親の横暴(確かに凄い横暴)に毒を吐く主人公の友人に対して怒り出すというシーンがあるのです。父親は誰もが尊敬すべき、その父親に対してなんたる言いぐさだと。喧嘩状態になって店を叩き出された後、その友人が言うのです。


「『じゃなきゃいけない』って、自分で自分に制約を課している分には、けっこうイケてるって俺は思う。だけど、それを他人に押しつけたとたん、最高にダサくなる。誰かにとっての『じゃなきゃいけない』は、俺の『じゃなきゃいけない』じゃない」


幸い、戦前・戦中時と現在の最大に異なる点は、苦労ばかりで実りの少ないビラ配りなんてしなくても、日本中に意見を流すことが個人で簡単に出来るツールがあるということ。思想弾圧で発禁になっても、ネット上ならいくらでも(流通コストは限りなくタダで)流せるということ。

もちろんマスコミもネット住民も、表現の自由を盾になにを書いてもやってもいいってわけじゃないのも事実でしょうけど、だからといって、どこで間違ったのかもわからないまま、言いたいことを言えない変な時代になっていいわけでもありません。民主主義は、「賛成」か「反対」かでも「反対」を真っ向から否定することでもなく、様々な選択肢から議論を経て国民がよりよいと思う方策を選ぶことだったはず。選ぶための選択肢を増やすためにも、表現・発言の自由は守らないとと私は思うのです。

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