2006年10月4日

今も戦後

私はもともと「どんぶり勘定」な人間ですが、学生さんと話していると「最近」や「古い」の感覚が随分違うと思うときがよくあります。

「新聞ってどこにありますか?」

というのは、カウンターでよく聞かれる質問。ちなみに大学近所の公共図書館にも「新聞は2階」という案内表示があるので、どこの図書館でもよく聞かれるのでしょう。図書館ではよく使われる資料のひとつです。しかし、大学図書館は公共図書館と違って、ここで「3階です」と簡単に答えることはできません。なぜなら、質問している人が欲しい新聞が、「いつ」の「どの」新聞であるかによって、提供方法が(配架場所も)かなり違うからです。質問が「今日の新聞はどこですか?」ならすぐ答えられるのですが、学生さんがわざわざ図書館にまで来て聞く「新聞」は、今日のものであることはあまりありません。

そこで出てくるのが、「いつ頃のもの?」という質問。
私の中で新聞の「古い」は、まず日経テレコンで検索ができなくなる1975年〜1980年あたりがひとつの節目です。そして次の節目が先の大戦の前か後か。そして大正以前。日本の新聞はそのいずれかで、提供方法が大分変わってきます。しかし、学生さんの「古い」は、大抵「自分が生まれた前か後か」のようです。「古いものです」と言われて「戦前とかそのくらい?」と言うと、

「いえいえ、そんな前のじゃなくて、1980年頃の」

・・・それ全然古くないから。たまに「古い物」=「1990年代」だったこともあって、驚く前にちょっと凹みました。まあ「新聞」っていうくらいですから、昨日のものはもう古いものなのかもしれませんが。

一方で、本当に古い資料を探す人もたくさんいます。大正時代の住所から現在の場所がわからないかとか、空襲で焼ける前の大学の配置図とか、明治時代、誰々さんがこんなことを言ったらしいが、その出典はとか、レファレンスで預かった質問というのは、このところ戦前(下手すると日露戦争以前)のものばっかりです。

大正時代の渋谷の地図を開くと、これが案外面白い。今の道玄坂や、公園通りと思われる道路が綺麗に描かれています。大学の古い写真も、「ああ、これ今のここだよ〜」みたいな感じです。こうして古い資料に触れていると、明治時代や大正時代が思った以上に近い。今につながっているものを見つけると余計にそう感じます。右から左へ書かれるカタカナ文字の新聞広告、地下鉄の無い東京、でも地名や大きな道路は同じ。「気づいたら、戦前の日本にタイムスリップしていた」という小説がありますが、その気分を結構リアルにそして気軽に味わえるのです。実際明治時代から考えてもまだ200年程度で、それほど古いわけではないのですけれども。

そんな仕事をしながら「もはや戦後ではない」とか書かれた経済白書を見たりすると、「いやいや今も戦後だよ」と、つっこみたくなる私なのでした。

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