“コンテンツ”を取り巻く環境

ITmedia News:米iTunes Storeに日本アニメ初登場

私が小学生のとき、家庭用のビデオ機が登場しました。レンタルビデオ屋は、ビデオ価格の10%でレンタルしてて、私はそれで『サウンド・オブ・ミュージック』とか、『チキチキバンバン』とか、『メリー・ポピンズ』とか、そういう古い映画をたくさん見ました。そのときは貸与権だの、著作権だの、ニュースにはなっていなかったような気がします。

CDが登場したのは確か小学校高学年のとき、映画もレーザーディスクなるものでデジタル化されていました。が、あのでっかい円盤のようなディスクはあまり流行りませんでしたね。やっぱり大きさが問題だったのでしょうか。DATとか、MDとかいう紆余曲折がありながら、音楽や映画コンテンツがたどり着いたのは、パッケージが無くなって、データだけがやりとりされる世界。特にデータ量が少ない音楽コンテンツは、着うたやオンラインダウンロードという分野が急激に成長をしています。

世界で初めて音楽を持ち歩く機械(ウォークマン)を作り、ビデオを普及させ、DVDやHDDレコーダーでも最先端を行く日本なのに、何故か「パッケージの無いコンテンツ」には妙にアレルギーがあるようです。何故かここでは著作権に厳しかったはずのアメリカがどんどん成長し、日本は自前のコンテンツさえ先にアメリカで配信される始末。”コンテンツ”という言い方が悪いのでしょうか。それともパッケージじゃないと何か問題があるのでしょうか。

最近、世界の構造が天地がひっくり返るくらい大きく変わっていることを感じます。個々のアーティストが、独自にコンテンツを作り、独自に宣伝し(それはYouTubeで配信してもいいかも?)、そしてオンラインで配信する。映画の場合は制作費用が洒落にならないくらいかかるので、なかなか簡単にはいかないでしょうけれども、少なくともコンテンツを巡る利益構造は、恐らくこれからものすごく変化するでしょう。今までCDを何枚売ることで、このくらいの利益が得られるとされていたものは、もうそこには無くなりつつあるのかもしれません。それは出版も同じだと思います。最近、この最新刊ダウンロードして読めれば楽なのになぁと思うことが多くなりました(笑)。でも、多分日本にはその変化を嫌う人がいるのです。なんかそうなったとき、日本ではあれもこれも旧態依然とした方法でしか見られない、聴けないってことになったら、どうなるんだろう。海外のなら見られる、聴けるのなら、もういいや、US版のiTSカードを購入してダウンロードすれば、ってことになるだけのような。だってインターネットの世界には物理的な距離も、国境もないし。

私が子供の頃夢として描かれた未来は技術的には既に来ているのに、古いビジネスモデルと既得権益、そしてコンテンツを守るという大義名分を振りかざした法律が、その未来へ到達することを阻む可能性があると予想した人はいたのでしょうか。

なんかモヤモヤする今日この頃だったのでした。

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