2008年1月13日

[映画/スカパー]八甲田山

八甲田山 特別愛蔵版

八甲田山 特別愛蔵版
出版者: M3エンタテインメント
発売日: 2004-06-23




監督: 森谷司郎
出演: 高倉健、北大路欣也、丹波哲郎、三國連太郎、加山雄三ほか
1977年/日本/カラー/170分/

友田少将は、日清戦争時、寒冷地での行軍に支障をきたしたこと、そしてロシアとの緊張関係、さらに敵方の攻撃による青森県内での輸送路の寸断を考慮し、冬季の八甲田山系で雪中行軍演習を行うことを提案する。五聯隊、三十一聯隊がそれぞれ青森からと弘前から出発し、途中ですれ違うという計画を立てた。それぞれの責任者である神田大尉(北大路欣也)と徳島大尉(高倉健)は、私的な勉強会の後、雪の八甲田山中での再会を約束するが。


誰もが知っているであろう「八甲田雪中行軍遭難事件」をモデルにした新田次郎作『八甲田山死の彷徨』を原作とする映画。あくまでフィクションで、現実は五聯隊と三十一聯隊はたまたま同じ時期に雪中行軍を行うことになっただけで、すれ違うとかそんなことは全く考えていなかった事から始まり、かなり事実ではない部分もあるそうですが、私が見る前に思ってたよりも「失敗プロジェクト」な感じじゃなかったんだなあという印象です。

私が思い出したのはスコットとアムンセンの南極探検の物語です。実際のところロシアとの開戦が秒読みと言われていた時代で、日本軍にとって寒冷地に慣れること、その装備にどういったものが必要か把握することある意味必要な訓練であり、その計画自体は問題は無かったと思うのです。が、日本軍にとっては初めての、そして地元民でさえ嫌がる冬の八甲田越えというのは、南極探検のようなもの。スコットは馬で失敗し、アムンセンは犬そりで成功したのは、事前の情報把握がアムンセンのほうが上手かったということもあるでしょうけれども、成功の分岐点は多分に運によるものも多かったと思うのです。五聯隊が遭難し、三十一聯隊が結果的に青森に全員で到着できたのも、いろいろな理由は後付できても、結局は運だったのではないかと思います。結果論としては天候悪化の段階で中止すべきだったとか、案内人をつけるべきだったとか、責任を誰かになすりつけることはできるかもしれませんが、訓練そのものは当時の状況として必要なものであったし、それによって遭難したことはもちろん悲劇ではあるけれども、それを教訓にすることが日露戦争で日本がある程度優位になった理由でもあったかもしれません。この事件から100年経った現在も、冬山は死と隣り合わせ。冬でなくても登山による事故や遭難というのは毎年起こっているわけで、最大の問題は、南極探検レベルの死の危険性の高い非常に実験的なプロジェクトにいきなり210人という大部隊を投入してしまったこと(つまりそれは雪山を甘く見ていたということか)だったのではと思ったのでした。

事件は明治35年のこと。すごい昔だったんですね。映画の時代考証が正しいのかどうかわかりませんが、つい30年前までちょんまげ結って、鎖国してた日本であることを考えると、明治時代の激動ぶりがわかるというものです。私、もっと最近の話かと思ってました。

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