明治の東京案内を片手に、皇居一周



8月31日(夏休み最終日)だということに地球も気づいたのか、久々に晴れて「暑い」夏が戻ってきました。雨が降らなかったのは何日ぶりでしょう。

今読んでる『明治日本旅行案内 東京近郊編』では、まず最初に皇居の内堀、外堀の案内から始まるのですが、聞いたことさえ無いような門だの橋だのが明治時代にはあったことに気づかされます。橋の名前だけではどの場所を指しているのか分からず、改めてこんな本も借りてきました。

古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩 (古地図ライブラリー)

古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩 (古地図ライブラリー)
著者: 梅田 厚
出版者: 人文社
発売日: 2003-10-01



この地図は明治40年と現代のものを左右に並べて収録している資料で、今読んでる旅行案内よりも時代は20年以上後の地図ですが、官公庁や皇居周りはそれほど変わらないので結構使えます。まず内堀の案内の出発点である「雉子橋」が、今は首都高の高架下に隠れている橋だということが分かりました。地図を見ていたところ、それほどの距離でもない(実際ジョギングしている人はたくさんいる)ので、日比谷門(跡だけ、日比谷公園の有楽町側入り口にある)から桜田門、半蔵門、北の丸公園、竹橋から大手門、和田倉橋まで実際に一周してみることにしてみました。『案内』では近衛兵営(現・近代美術館工芸館)から田安門方向なのですが、今日、24時間テレビを放送してたんですよね。とてもじゃないけど武道館そばを通る気にはなれず、そのまま竹橋方向へ行くと、なんと募金の列が国立公文書館のところまで来ていました。恐らく武道館から九段下を経て竹橋まで並んでいるのでしょう。募金するのも楽ではないですね。

『案内』ではさらにその後、外堀通りを一周し、万世橋から神田川沿いに浅草までのルートが書かれているのですが、Google Mapで計測したところ、外堀通りだけで16キロ。とてもじゃないけど歩けません。昔の人は健脚ですね。確かに一日で歩けとは書いてませんし、これは最初の概要で、著者にとっても「観光ルート」の意味は無かったのかもしれませんけど。ルートをたどっていて、恥ずかしながら、数寄屋橋が何で「橋」なのか、そして何故「内幸町」なのか、今更ながら知った私でした。

一周分の写真はこちら(左下の地図を見ると場所もわかります)

皇居一周散歩


続きを読んで、面白そうな場所があったら、また散歩してみようと思ったのでした。『地図』のほうには、江戸・明治期の遺跡を巡る推薦ルートが紹介されていて、そちらも面白そうです。

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