[travel]フランス色の濃い街オタワ

先日書いた通り、トロントはカナダ最大の都市です。でも、カナダの首都は誰が何と言おうと、オタワです。同じオンタリオ州ながら、少し内陸にあるオタワは、ケベック州と隣接していることもあってか、かなりフランス色の濃い街でした。

トロントもそうなんですが、カナダの公用語は英語・フランス語ですから、公共の場所はどちらも併記されていることが多いです。が、一般的に英語が使われるトロントでは、例えばバスの"STOP REQUEST"標記とか、英語でしか出ません。ところが、オタワは違いました。英仏併記だったのです。ありとあらゆるものに徹底されていて、National Gallery of Canadaに行ったら、Hello, Bonjourって言われました。日本人の私はどう返したらよいのでしょうか。そのNGCには、私たち日本人になじみのあるこんなモニュメントが。



Louis Bourgeois作の"Maman"と名付けられたこの彫刻は、Wikipediaによると世界中にあるようです。Mamanを訪ねてあちこち行くのも面白そうですね。NGCは大部分をカナダの美術が占めるのですが、その半分くらいが現代美術なところが歴史の浅いカナダ的とも言えます。

トロントと比べると、首都オタワは移民が少ないように思います。そして、旅行客もフランス語圏の人が多いです。周りはフランス語しか聞こえません。だからなのか、街の雰囲気も少し違います。ありとあらゆる国が渾然一体となっているようなトロントと比べると、ヨーロッパ(特にフランス)のイメージが強いのです。私がカナダに来る前に持っていた「カナダの都市のイメージ」はオタワに近いものでした。



霙まじりの雨が降っていたため、土曜日は美術館巡りをすることに。まずは戦争博物館に行きました。これが結構面白かった。カナダという国にとって、フランスとイギリスが領主権を争った戦争が、歴史の中の大きなターニングポイント(日本でいう関ヶ原の戦いみたいなものか)で、その影響は現在にも及んでいます。1947年まで、カナダ国民がイギリスのパスポートを持っていたとかも知らなかったし、クイズ形式のゲームをやったら「250人の部隊を率いる指揮官はどの階級?」とかいう、英語の壁だけでなく、専門用語の壁も立ちはだかる問題が次々と出され、見事落第したりとか、一番笑ったのは、メイプルリーフスのユニフォームを着た男の子と、モントリオールカナディアンズのユニフォームを着た男の子が、フレンチ・インディアン戦争(七年戦争)の流れを紹介するビデオを見ながら、互いにツッコミを入れるというビデオ。これもフランス語版と英語版が交互に流れ、それぞれに英語・フランス語字幕がつくという徹底ぶり。仏語版の終わりくらいから見て、英語版を全部見たんですが、その間にちょっとしたクイズがあるんです。その中に英国の勝利を決定づけたアブラハム平原は今は何になっているかというクイズの選択肢に"Tim Hortons"ってのがあって笑えました。カナダっぽい。

オタワに行きたかったのは、カナダに6ヶ月もいるのに、首都見ないで帰るわけにはいかないと思ったからなんですが、国会議事堂ツアーに参加したら面白かったです。議事堂の中は、ものすごく英国の影響をうけているのがわかります。日本も議会制度は英国を真似しているので、委員会制度とか、多数政党の党首が首相になるとか、理解しやすい感じです。ただ日本と大きく違うのは任命制の上院があることでしょうか。



なぜトロントでもなくモントリオールでもなく、ケベックシティでもなく(また、当時もう一都市首都を争っていたのがキングストン)、首都が(当時は何も無かった)オタワなのか。首都がオタワに決まったのは、当時の英国女王の鶴の一声なのですが、ツアーを率いてくれた担当の人によると、「オタワ川があって、物資の輸送に便利であること」、「ケベック州とオンタリオ州の境にあって、経済的にも政治的にも都合がよかったこと」、「アメリカ合衆国の国境から離れていること」なんだそうです。議事堂の塔の上にある展望台からは、オタワ川の向こうにケベック州(ガディノー)が見えます。



この議事堂ツアーの中で、図書室にも入れさせてもらえます。この議事堂は、1916年に一度焼失しているそうです(そんな事件も知らない私)。ほぼ全焼だったという火事の中にあって、この図書室は残りました。当時の司書が中にいて、扉が鉄製であったことを思い出した彼だか彼女だか(Heって言ってたと思う)が、扉を閉めて火から図書を守ったそうです。



土曜日の夜、霙まじりの雨は本格的な雪へと変わり、朝起きたら外は冬景色になっていました。いよいよWinterシーズンが始まりますね。リドー運河も1日で晩秋から冬に変わっていました。


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