利用されなければ存在しないのと同じ

先週後半は、文化庁の開く著作権の講習会に行ってきました。散々実務で著作権関係の面倒くささには辟易させられているのですが、改めて条文と照らし合わせながら聞くと、「やっかいだなあ」と思うことが多いです。

著作権のやっかいなところは、「財産権」の割に、その実体が完全に見えないこと、モノと違って、他の人に使われても、目に見えて減るものではないこと、一方で、それが財産として認められるには、ある程度利用されないと意味がないこと、など、いわゆる不動産や、動産とは根本の部分から違っていることだと思うのです。

特に大学で扱われる学術論文などは、引用される回数によって学術界への影響力を測る指数があるくらい、「利用されないと意味のない著作物」です。読んで貰ってこその著作物に、著作権がどうのこうのが障壁になると、「面倒くさいなあ」と思われることも少なくありません。また、海外ではどんどんデジタル化(かつオープンアクセス化)が進んでいるのに、日本では遅々として進まないのも、そういう著作権が厳格に適用されすぎてて、結局許諾を取るのが面倒過ぎる、その代替手段さえないというのが一因と言えなくもありません。

そんな中、またひとつ大きなオープンアクセス資料が登場。モーツアルトの全集"Neue Ausgabe sämtlicher Werke"が無料で見られます。実際に検索してみて、中見てみたら「あれ、これどっかで見たことある譜面だな〜」と思って、改めてトップページを確認したら、大学でも所蔵している楽譜でした。

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画面上で見られるほか(紙から取ったのか、結構綺麗)、譜面部分をPDFでダウンロードすることも可能です。楽譜って図書館の中ではそれこそ著作権的に複写の難しい資料のひとつで、一般の図書と同じように著作権が切れていないものでも、著作物の一部分を複写できる図書館の例外規定(31条)を適用しようとすると、「同一性保持権に抵触するので、実質的に複写は出来ない」という解釈があります。著作権が消滅しているかどうか確認するのも、譜面には編曲者や作詞者の著作権も働くので結構大変です。しかも著作権者が亡くなっていると、それを誰が相続したかとか、どういう状況になっているのか確認するのも一苦労。こうしてフェアユースの範囲内で誰でも見られる状態にしてもらったほうが、著作物は本当の意味で残っていくと思うんですけどね。

海外から「出版されているかどうかも分からない資料だったが、最近あなたの大学で所蔵していることを知りました」とかいうメールが来たり、「国会図書館を含め、どの所蔵大学でもかなりの欠号があり、一覧するにはハシゴするしかないですね」という雑誌にあたったりする図書館業務。私自身、調査である人物を特定するために(当時の論文などに引用もあり、有名だった)戦前期の右翼新聞を探しているのですが、これまた思想統制などのせいなのか、ちょうど探している号がどこにも見つからずに苦労しています。そう言えば、大正時代のある作家が新聞連載した小説が、その新聞自体が見つからず、幻の作品になっているという話もありました。最近は多くの新聞で、デジタル化して検索機能を付けたデータベースが提供されていますが、それでも「著作権の関係で、この記事は見られません」となっている記事があります。例えば、連載小説とか、後で本にするから良いんだと思っていたとしても、連載時に掲載されていた挿絵が、実は後に有名な作家になる人だったなんてこともありますから、今は見られなくても残しておいて欲しいなあと思うのでした。

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