2020年1月18日

[2020パラオ旅行]パラオやハワイの日焼け止め規制


パラオでは2020年1月から、サンゴ礁に毒性のあると言われる成分が含まれる日焼け止めの持ち込み・使用を禁止しました1)。2016年に発表された調査では、オキシベンゾンが珊瑚の幼体に悪影響を与えていると言われており、しかもその毒性は濃度が極めて薄い場合でも影響があるとされています2)。美しい海とサンゴ礁を観光資源として持つ地域では、この問題に強い関心を持っているようです。

パラオで禁止される成分は、以下の通り。

紫外線吸収剤
オキシベンゾン、メトキシケイ皮酸エチルヘキシル(オクチノキサート)、オクトクリレン、メチルベンジリデンカンファ

防腐剤
メチルパラベン、エチルパラベン、ブチルパラベン、ベンジルパラベン、フェノキシエタノール


私が見た限り、日本の日焼け止めのパッケージにはオクチノキサートと書かれていることは少なくて、メトキシケイ皮酸エチルヘキシル(または メトキシケイヒ酸エチルヘキシル)と書かれていますので要注意です。私がドラッグストアで見た日焼け止めには100%入ってました。また、防腐剤はフェノキシエタノールが入っていることが多いです。つまり日本のドラッグストアで売っている一般的な日焼止めは全て持ち込み不可。最悪の場合没収だけでなく、罰金を科されます。とはいえ、のんびりなお国柄のパラオのこと、実際に入国時に手荷物検査をされたりするわけではありません。訪問者の誠意が求められます。2021年1月からは、ハワイでも オキシベンゾンとオクチノキサート入りの日焼け止めは販売・頒布が禁止されます(SB2571)。こちらは法令を読む限りでは禁止されるのは販売・流通だけで、持ち込みが禁止されるわけではありません。成分が様々な言語で書かれている日焼け止めについて、検査をしたり持ち込みを禁止したりするのは実効性に乏しく、アメリカらしい現実的な法令だと思います。しかし、上記成分が美しいサンゴに悪影響があることは科学的根拠もあり、やはりここでも人間の誠意が必要です。

塗るのがダメなら...飲む日焼け止めなら?と思う人がいるかもしれません。確かにそのようなものが2、3年前に流行りました(調べたら、2016年版の『現代用語の基礎知識』に、有名人が言い出して流行ったと書かれていた。その後の版には記述なし)。しかし、"日焼け止めを飲むというアイディアは面白いが、科学的な根拠は存在しない"3)と言われています。さらに2018年、 アメリカ食品医薬品局(FDA)は飲む日焼け止めと銘打ったサプリを売る会社に「飲む日焼け止めなんてものは存在しない、詐欺はやめろ」という警告を出しています。科学的根拠もある効果的な日焼け止めは「塗る」ものです。

では禁止成分にあたる従来の紫外線吸収剤や防腐剤の入っていない日焼止めは日本で買えるのでしょうか。正直まだ少ないです。最近大正製薬からリーフセーフ(珊瑚にやさしい)の日焼け止めを2020/2/1に発売するという発表がありました。また、沖縄の会社が珊瑚にやさしい日焼け止めを売っています。他に資生堂がドゥーエというシリーズで日焼け止めノンケミカルを売っており、この成分には禁止成分が入っていませんでした。しかし、禁止された成分が多くの(世界中の)日焼け止めに使われるのは、効果があるだけでなく塗りやすいからなのです。禁止成分である紫外線吸収剤の入っていない、自然由来の成分を使う日焼け止め剤は、延ばしにくく、白残りするのが特徴(ある意味笑えるくらい白くなる)です。ご注意ください。さらに「紫外線吸収剤不使用」と書かれている日焼け止めにも、防腐剤のパラベンやフェノキシエタノールが入っているものが多く、注意が必要です。

このような規制はパラオが最初だそうですが、前述のように日本人観光客も多いハワイでも規制されると、サンゴ礁を売り物とする海洋諸国に徐々に浸透していく可能性もあり、そうするとサンゴに優しい日焼け止めの開発も進むかもしれません。ただ、現時点ではまだ市場は追いついていないですね。ちなみにパラオで日焼け止めを塗らないのは自殺行為です。現地の人は塗ってない人も多そうですが、彼らとは違うので日焼けには本当に気をつけて。

引用文献
(1) "Responsible Tourism Education Act of 2018" https://www.palaugov.pw/wp-content/uploads/2018/08/Proposed-Legislation-re.-Responsible-Tourism-Education-Act-of-2018.pdf(access 2020-01-18)

(2)Downs, C., et al. Toxicopathological Effects of the Sunscreen UV Filter, Oxybenzone (Benzophenone-3), on Coral Planulae and Cultured Primary Cells and Its Environmental Contamination in Hawaii and the U.S. Virgin Islands. Archives of Environmental Contamination and Toxicology. 2016, vol. 70, no. 2, p. 265–288.

(3)Biba, Erin. The sunscreen pill: a tablet that protects against sunburn is an attractive idea, but the science is patchy. Nature. 2014, vol. 515, no. 7527.

[2020パラオ旅行]パラオの食べ物

パラオの主食はタロイモ。どこでも取れるそうです。そして豊かな海の資源、魚。ペリリュー島の人々はコロールなどに出稼ぎに行くと書きましたが、常夏の島国は資源豊かで、果物はそこかしこで勝手に取れるし、タロイモも食べられるし、そして海に潜れば魚がいくらでもいて、それほど必死に働かなくても食べていけるのだそう。ペリリュー島を案内してくれた平野さんは果物は大抵もらえるから買ったことがないと言ってました。

そんなパラオでは、なぜか日本人がやっているレストランが多いです。食べ物にうるさいのが日本人の特徴でしょうか。地元の食材を使った食べ物を出してくれます。中でも、一緒にシュノーケルをしたパラオリピーターの方に教えてもらったフィッシャーマンは最高。結局2日目だけでなく、フィリピンの噴火の影響で延泊した最終日にも行ってしまいました。イカスミパスタ、シャコガイのアヒージョなど、地元の食材を使いつつも日本人好みの味付けにしたお料理が美味しかったです。大人気で事前予約必須、送迎あり。



3日目に行ったのが、トリトリという居酒屋。白木のカウンターで日本語堪能(だけでなく多分数カ国語話せそうだった)な女将さんが、元気に切り盛りしています。今日はマングローブ蟹があるよ、と言われて頼んだのがウカエブ(マングローブ蟹のココナツミルク煮)。パラオの伝統料理だそう。ここは送迎はありませんが、予約はしたほうが良いかも。WCTCというコロール中心地にあるショッピングセンターの向かい。


刺し身の盛り合わせ、を頼んだのですが、「盛り合わせ」じゃなくて地魚の姿造りでした(笑)。鯛の仲間だと思います。普段海外で刺し身食べたりしないのですが、パラオは別。美味しかったです。


同じく地元の食材で、マングローブ貝というのがどこでも出されるのですが、酒蒸しはちょっと違った(笑)


〆に漬け丼。ご飯もふつうに食べられているそうで、明らかに日本製の炊飯器が置かれていました。


エリライというパラオでは「おしゃれレストラン」として認識されているレストランがあります。本来最終日の予定だった日はそこを予約して行ってきました。やっぱりここもマングローブ蟹とマングローブ貝を盛り合わせたサラダ。酸味が効いていて美味しかった。ここも人気店なのでリザーブが必要。送迎あり。テラス席ではダツが悠々と泳いでいるのが見られました。


お店おすすめの本日のお魚のグリル。マッシュタロイモ(スイートポテトと言ってたが、おそらくタロイモ)の上に乗せてあるのが面白い。



そしてココナツアイスとレモンシャーベット。デザートは1品頼むと1品同じ値段までサービスでつけてくれるというクーポンを貰ったので、それで。島のあちこちに生えているココナツはやはり地元食材。ホテルの朝食ビュッフェにも地元のココナツはちみつが置かれてて、毎日ヨーグルトにかけて食べてました。レモンもパラオの自生のレモンは酸味が強くて美味しいのです。どちらも余計な味がしなくて濃厚なのがよかったです。




ホテルの朝食になんだろうこれ、と思ったフルーツがありました。やはり宿のトレイルツアーのときに実際に成っている実を教えてもらったのですが、サワーソップという果物。ヨーグルトに混ぜて食べるのが美味しいのだとか。


他にも、ビリンビというすっぱーい果物も教えてもらいました(取って貰って食べました)。地元では漬物にしたり、キムチに入れたりするのだとか。水分が多くとにかく酸っぱいので、疲れた時には生でも食べるそうです。


アーモンドの木もたくさんあって、地元の女性は木の下に落ちたアーモンドを拾って集め、ホテルなどの売ったりするんだとか。ペリリュー行った時、ボートの網棚に釣りグッズがあったんですね。我々が島を回っている間暇なので、運転手はその間に海に潜って魚をとり、コロール島で仲間と分けたり、飲食店に売ったりするんだそう。原始的だけど、自然と共に生きる島の人の生活の知恵ですね。

基本的に肉は輸入、ほかも果物や魚以外はほぼ輸入に頼っているパラオ。食べるならお魚と言われてお魚ばかり食べていましたが、宿で食べたハンバーガーやビーフのサンドイッチは美味しかった。


正直、外国人観光客を相手にするお店はどこも安くはありません。宿で食べても外で食べてもあまり変わらないという感覚です。ただ、どこでも南国らしい食材を楽しめて、なかなかおもしろい食体験でした。



[2020パラオ旅行]ペリリュー島訪問

ペリリュー島は中心地コロール島の南、スピードボートで約1時間のところにある小さな島です。住民は約700人、島には目立った仕事はないため、多くの成人男性はコロール島などほかの島へ出稼ぎに行くのだそう。

ペリリューの南端。海の向こうにやはり激戦となったアンガウル島が見える

ペリリュー島は、太平洋戦争末期にアメリカ海兵隊第1海兵師団(撤退後に陸軍第81歩兵師団に交代)と大日本帝国軍が泥沼の攻防戦を行った激戦地です。ペリリュー以前の帝国陸軍の戦術は主にバンザイ突撃と呼ばれる効果の薄い単発自爆攻撃でした。しかしペリリュー島ではその方針を180度転換します。戦術的にこの島を失いたくなかった日本は、島の地形を生かした地下壕を張り巡らし、籠城・ゲリラ戦へと持ち込みました。2, 3日で攻略する予定だった米海兵隊は日本兵の執拗なゲリラ攻撃に苦しめられ、結局攻略までに2ヶ月以上、5万人を投入して死者・行方不明者約8000人という多数の犠牲者を出す戦いを強いられることになりました。最終的には日本側の玉砕(日本側の犠牲者は約1万人)で終わった戦争の痕跡は、あちこちに残されています。

日本の洞窟陣地。中は迷路のようになっている。
ここは入れるが、米国の攻撃によって塞がれている穴も少なくない。
洞窟の中には当時の瓶や靴の残骸、皿などが今も残されている

米国のナパーム弾攻撃によってはげ山になったペリリュー島ですが、リン鉱石は掘りつくされ、米軍も去り、少人数の島民が戻ってきてから75年。放置されたままの戦争の痕跡はそのままジャングルに埋もれようとしています。

ほとんど原型を留めない墜落した零戦
帝国陸軍の戦車

日本の通信局跡。右上の窓は大砲によって空いた穴を塞いだもの。壁には無数の弾痕が残る。
今は戦争記念博物館として使用
日本軍飛行部隊司令センター跡。コンクリの建物は風化が進み、あちこちに構造を支えるためのつっかえ棒がある
中央部は米軍の攻撃によって穴が空いたと思われる。
コンクリが剥げて鉄筋がむき出しになった柱でかろうじて支えられ、2階にはもう上がることはできない。

階段はまだきれいに残る

洞窟から今も海を狙っている日本の大砲。上陸には間に合わず、攻撃には使われなかったとか。

米軍が上陸につかったLVT
特に最後まで日本が徹底抗戦していた中央の山地にはいまだ地雷や不発弾が埋もれていて、海外の団体が除去作業をしています。米軍がデスバレー(死の谷)と呼んだ場所は危険なため、今回のような一般ツアーでは入ることができません。

死の谷へ向かうトレイル。地雷除去が済んだ道の範囲を示すマーカーが埋められている。

マーカーの内側を歩くように指示する看板
入れない山地の奥には、最後まで指揮をした中川大佐が自決した司令部(と言う名の洞窟)があります。終戦後には大佐の遺体を日本へと戻そうとしましたが、ご家族が「先にほかの人を」と言ったため、ペリリュー島に一時的なつもりで埋葬されたそうです。しかし急速にジャングル化が進み、緑に覆いつくされた島でその場所は定かではなくなり、今も見つかっていないのだとか。アマゾンの奥地までGoogle Mapで見ることのできる21世紀の話とは思えません。

碑文に「昭和64年2月」と書かれている顕彰碑。奥地には立ち入ることは難しいため、比較的入りやすいところに設置されている。

中川大佐の終焉の地の鎮魂碑。しかし自決場所は本当は山の反対側だったと言われている
ツアーはまず西側の海岸線を南下、洞窟や記念館などを見学しながらオレンジビーチまで行き、南端の慰霊碑を見学してサウスドックでお昼、中央の道なき道を戻ってきて最後まで米軍が苦しめられた中央の高地を回るルートです。ツアーガイドは元自衛官の平野さん。この手の戦跡ガイドはやや左寄りで湿っぽかったり、逆に日本軍に妙に肩入れしたりと極端な説明をする人が多い中、日米双方の戦略や、ペリリュー島の戦争の中での立ち位置なども含めた非常にバランスの取れた良い解説でした。慰霊碑では線香を用意してくれて、全員がお参りをしました(希望者はと言われましたが、全員お参りしてました。自分で線香を持っていた方も)。

戦没者慰霊碑。戦没者は全員軍人で、民間人はいない
司令センタ ーの廃墟を見てもわかるとおり、放置するということは、いずれ完全に自然に還るということです。昨年ペリリュー島の生き残りの最後の一人が亡くなりました。今回のツアーに参加していた人たちも全員が戦争を知らない世代です。戦争の記憶は徐々に薄れており、戦中派の高齢化によって慰霊などでペリリュー島を訪れる人も少なくなっていたといいます。ところが2015年に当時の天皇皇后両陛下がペリリュー島を訪問したことで、再び来訪者が増えたそうなのです(この日はJALチャーター便が来ている時期ということもあって、総勢20名で満席でした)。現地の各ツアー会社もマリンスポーツが中心のメニューの中に、ペリリュー島訪問ツアーを入れるようになりました。

天皇皇后両陛下(当時)が訪問した際の休憩所。すごく立派だが現在開放されているわけではない

南端にある西太平洋戦没者慰霊碑。両陛下が訪れたことで有名になった。
米軍が多大な犠牲を払って手に入れた島。しかしその苦労に見合うものだったのか、戦史的な意味では疑問視されています。日本にとっては重要な拠点だったペリリュー島ですが、当時から米国では意見が分かれていました。すでに手に入れたマリアナ諸島からフィリピンへの途上にあるペリリュー島には立派な十字の飛行場があることはわかっていました。米海軍は、ここを取らなければフィリピン攻略の際に危険であると主張、一方陸軍は南へ迂回してフィリピンを直接攻略する方針を取りました。結果的に陸軍(マッカーサー)の主張は正しく、フィリピンを先に攻略したのは陸軍でした。ペリリュー島も米軍の勝利に終わったものの、太平洋艦隊最高司令官だったニミッツはのちにこの戦いに後悔の言葉を漏らしたと言われています。しかし日本にとってはおそらくこの戦いは意味のあるものでした。ここで繰り広げたゲリラ戦が米軍を苦しめたことを見て、その後の硫黄島、沖縄の戦いでは同様のゲリラ戦を展開しました。それが本当に良いことだったのかはわかりませんが、当時の戦略としては正しかったのだと思います。

ニミッツの言葉が刻まれた石碑があるのが、ペリリュー神社。

ペリリュー神社

この島を守るために死んだ全ての日本兵たちがいかに勇敢で愛国心溢れていたかを語り継いでほしいとの言葉。
壊滅状態に陥った海兵隊にとってはここは悪夢の島で、最終的に陸軍にバトンタッチして撤退します。陸軍第81歩兵師団の慰霊碑は上陸地であったオレンジビーチに古いものがあるのですが、勝利を手にできなかった海兵隊の慰霊碑は比較的新しいのも皮肉です。ちょうどペリリューに上陸してから75年になる昨年9月に記念式典が開かれたそうですが、サウスドックにはその際に作られた記念碑がありました。


パラオは名前のついたダイビングスポットが無数にあります。その中には、Taisho Maruとか、Japanese ZeroIIとか、戦時中の沈没船・墜落機の名前も含まれます。比較的見やすい位置に2つの零戦があり、2日目に海に出た時に見られました。

わかりにくいけれど、沈んだ零戦。干潮時は危ないので、近くに座礁注意のポールが立っている
ロックアイランドのビーチ近くに沈む零戦の羽根。尾翼も近くにある
ちなみに宿泊したパラオ・パシフィック・リゾートには、戦時中飛行場があったと聞きました(トレイルツアーのお兄さんに)。70年以上経っても、戦争の記憶とともに生きている南洋の島でした。