引用は原典を確認しよう

図書館にやってくる人の多くはもちろん資料を探しに来るわけですが、その中のひとつとして、「引用元を読みたいから、それを探している」という人がいます。大抵の論文には、誰々がこう書いている、というのを自説の論拠として引用するわけですが、その引用だけだと全体の意味がわからないから、特に関心のある部分について原典にあたってみるという方法です。中には論文の中に引用されている文献全てを集めようとする人もいて、それが海外で書かれた文献だったりすると、入手のお手伝いをするこちら側も苦労することが多々あります。でもそれでもやっぱり引用元を確認したいのは、その論拠が本当に正しく解釈されているのか確かめるという意味もあるのでしょう。

今回の国会で”美しい国”の人が福澤諭吉を引用されて、いろんな意味で話題になっています。「出来難き事を好んで之を勤るの心」というあの一文です。福澤諭吉が学生に対して行った演説が、時事新報に掲載されたもので、福澤諭吉全集(岩波書店)の第10巻に掲載されている「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」からの引用。タイトルの意味は、「卒業したら(学問を修めたら)ぐずぐずせずに生計を立てられる業につけ」という意味だと思います。引用は、原典にあたらねばなりません。学生に倣って、私も読んでみることにしました。

確かにびみょーだなあ。以下、私が勝手に解釈し要約すると(岩波書店の『福澤諭吉全集』は結構どの図書館でも置いてます。2ページ程度の論説なので、是非”原典にあたることを忘れずに”読んでみてください)、「自分は洋学を学んだけれども、なんで名誉にもならず、利益にもならない、かつ非常に困難な洋学を志したかと聞かれても自分でも分からない。よーく考えてみると、自分は士族の出で、その気質を持っていたのだろう。その気質っていうのは、『困難なことを好きこのんでやる』こと。私が生きてきた時代は、ちょうど時勢が大きく変化するときで、たまたまその洋学が(翻訳や著述などで)運良く生計を立てるのに役に立ったが、もうそんな時代ではない。君たちは士族は貧しいのが当たり前とか、学ぶのを目的に学問をするだなどという陳腐な考えを持ったりはせず、生計を立てるための実業を考えなさい」(というわけで上述のタイトル)と読めます。ちなみに『』の部分が美しい国の人が引用された部分。この論説で、彼は士族的な考え方を「封建の制度既に廃して士族無経済の気風尚ほ学生の中に存するは今日天下の通弊なり」とまで言ってるようなのですが・・・。私の解釈が間違っていたら教えてください。

"美しい国"の人は、結構この言葉が気に入ったのか、今日のメルマガでもタイトルにされていました。そしてその意とは、


明治維新という困難な事業に立ち向かい、近代日本をつくりあげた精神に「美しい国創り」を目指す私の今の心境を重ね合わせました。


とのこと。あれ、明治維新と福澤って関係あったっけ・・・。文明開化と福澤ならまだわかるけど・・・。

ググったところ、こんな文が


明治維新(1868年)の時、新政府から再三出仕を勧められたが受けず、もっぱら民間にあって、慶應義塾の教育と、国民啓蒙のための著作とを使命とする態度を変えなかった。

福澤諭吉(慶應義塾中等部ホームページ)


そう言えば、寛永寺に大砲の音が鳴り響く中講義してたという逸話があったような。

引用された原典もなかなか面白い言説だと私は思ったのですが、他にも福澤諭吉って結構面白いこと言ってるんです。同じように学生に対して行った演説で、「社会の形勢 学者の方向」(前述全集11巻所収)というのがあるのですが(たまたまある調査で読んで、気に入ってしまった)、そこで



日本国の人心は動もすれば一方に凝るの幣ありと云て可ならんか。其好む所に劇しく偏頗し、其嫌ふ所に劇しく反対し、熱心の熱度甚だ高くして久しきに堪えず、一方の方向直に直線にして忽ち中絶し、前後左右に些少の余裕も許さずして変通流暢の妙用に乏しきものの如し

(日本人はともすると一方に凝り固まる問題がある。好きなモノにはものすごく傾倒するのに、嫌いなものは激しく反対、思いこんだら一直線、そうなってしまうと周りが全く見えなくなる、みたいな意味かな。間違ってたらご指摘を)



なんか、第二次世界大戦や、卑近な例だとこのまえの納豆騒動とか思い出しませんか?明治の頃にこんなことを言ってた人がいるのがすごいなーと思った次第。この論説の最後にこんな文があります。


業成り塾を去りて家に居り又社会の事に当るも、決して其事に凝る勿れ。(中略)内に実力を余して心思を百方に馳せ、苟しくも判断の明を失う勿れ


自分への戒めとして覚えておこうと思った文。"美しい国"の人も、憲法は絶対改正するんだとか、教育を再生しなければとか、いろいろ凝り固まって周りが見えなくならないように、もう少し余裕をもってくれると良いですね。

さて、既に首相の引用部分が一人歩きして、「困難なことにひるまず立ち向かう精神」という解釈がされているようですが、「初心忘るべからず」と同様、微妙に違う解釈のまま、一般に通用するようになりそう?

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