2007年11月12日

時計依存症

ここ半年くらい、時計を全くしない生活をしていました。「時間に縛られない生活」を気取ってみたのです。大学入学時に買った時計がもう電池が持たなくなってしまって、そろそろ買い替え時ということもあったのですが、ケータイがあれば、別に時計無くても大丈夫じゃない?って思ったのがきっかけでした。ところが・・・やっぱり時計って無いと不便ですね。相方も時計を全くしない人で、「時計なんか無くてもいいだろ」と言うのですが、私はダメでした。ケータイは恐らく無くても大丈夫なのですが、時計は無いとかなりつらいものがありました。

第一に、職場に時計のない場所が多すぎる。例えば書庫。例えば教室。書庫にちょっと調査に、と席を外すことが今の部署はかなり多いのですが、一方で私はカウンターに入る時間というのが決められているので、それに合わせて戻らなければならないのです。書庫はそれ自体が広大な上(大きさを比べると、神宮球場のグラウンドとほぼ同じらしい)かつキャンパス内に分散して配置されているので、行き来の時間も考えなければなりません。書庫内の調査が興に乗ったりすると、時間を忘れて調べ物をしてしまう私は、これは危険です。図書館内を案内するツアー時にも同じ事が言えます。学生さん達は大抵「第○時限」をツアーにあてているので、ちゃんと時間通りに終わらせないと、次の授業があるのです。ここであと20分だから、あれとあれを紹介してこう帰ればぴったり、とか計算するのには細かい時間が分からないと厳しいのです。大学キャンパス内とはいえ、図書館内はチャイムも鳴りません(&聞こえません)。

第二に、食堂にも時計が無いところが多いのです。時差出勤の日などはお昼休みに外に出ることが多いのですが、近所の定食屋とか周りを見てみてください。あれ、時計が無い・・・。これも困る。昼休みの時間は決まっていますから、戻らなければなりません。私は食後のコーヒーを飲みながら本を読んでいることが多いので、これまた興に乗ると時間を忘れがち。時計が無いと安心して本も読めません。

第三に、駅に時計が無いのです。私の使う最寄り駅は、電光掲示板に次の電車の時刻が出ているのですが、肝心の「今何時」を表示していません(これは掲示板によって違うので一概には言えませんが、少なくとも大学の最寄り駅は時計がついていないタイプです)。時計を持たないようになって初めて気づきました。これも不便。

最後に、競馬場にも時計が無いのです(笑)。競走はそれぞれ発走時刻が決まっていて、投票は発走時刻の2分前で締め切られます。ターフビジョンには次のレースのオッズ表と共に「締め切りまであと○分」と出たりするのですが、いつもいつも出ているわけではありません。なのに時計がぱっと見られるところにない。これは困ったです。

そういうときのためにケータイがあるからいいさ(相方とかはそういう考え方)と思っていたのですが、わざわざ鞄からケータイを取り出すのが結構面倒なのと、私のケータイは電池が切れている(あるいは切れそうな)ことが多いのです。時計代わりにケータイを使っていて、改めてそう思いました。また書庫に行ったり、ツアーをしたりするときに、ケータイを持ち歩くわけにはいきませんし、ケータイを見ているのも変です。

というわけで、我慢が限界を超えました。これを機に良い時計を買おうかとも思ったのですが、所詮時計にアホみたいなお金を出す気も失せて、太陽充電の上に、長さも自分で変更出来、さらに生活防水がついているCASIO製のにしました。日付もついてるので、「今日何日だっけ?」とパソコンに聞くことも減ることでしょう。

しかし、この半年「世の中には案外時計が無い」ということをつくづく思い知らされました。そして、自分が今何時か分からないことに不安になるタイプであることもよく分かりました。思えば中学の頃から長距離通学をしていたために、その頃から腕時計は常にしているものでした。半年も腕時計を着けなかったのは小学生のとき以来です。よくケータイを忘れると不安になるという話を聞きますが、私の場合は時計が無いと不安になるのです。左腕に何もないことにこのところやや慣れてきたところでしたが、明日から再び時計に縛られる毎日に戻るつもりです。

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