ひな祭りの献立 : 「ちらし寿司」はいつから定番になったのか

本日はひな祭り。ひな祭りだからちらし寿司にしようかなと思います。私のタイムラインにも、昨日一昨日はひな祭りを前倒ししてちらし寿司というツイートを結構みかけました。ただ、ちょっと気になったのが、私が子供のころは、ここまでちらし寿司=ひな祭りの定番だったかなーということ。検索してみると、ひな祭りの献立にちらし寿司というのは近年の風習で、ちらし寿司にすべき謂れはないそうですが・・・。同じく一人の人と一生添い遂げるようにと願った「はまぐりのお吸い物」も定番とか。私の中では桃の花、菱餅、白酒(とはいえ、子どもは飲めないので甘酒?)に雛あられがひな祭りの食べ物ですが、ちらし寿司とはまぐりの吸い物はひな祭りの定番品としていつ広まったのでしょう。

まずは新聞記事データベースを検索してみました。

ひな祭りの献立例としてちらし寿司がひっかかったのは1956年3月1日の読売新聞。朝日新聞では1981年にちらし寿司がでてきましたが、翌年の献立では別のもの。つまりひな祭り=ちらし寿司というほど定番ではなかった模様です。1970年代は「おひなずし」という名称で、おひな様を象ったお寿司が流行ったようです(すごく覚えがある)。でははまぐりはどうでしょう。献立に貝類は結構出てくるのですが、「はまぐり・浅利などの二枚貝や、サザエなどの巻貝」と出てくるのが1919年の読売新聞。桃の節句に選ばれる食品として真っ先にサザエがあがってるのが1940年の朝日新聞。サザエが抜けて「浅利などの二枚貝」というのが1974年の読売新聞。戦後もはまぐりの潮汁は出てきますが、単に旬の食材として使われており、夫婦和合だから桃の節句に云々とかいうのは現代人の後付けと思われます。

『年中行事大辞典』(吉川弘文館, 2009)や『祭・芸能・行事大辞典』(朝倉書店,2009)によると、やはり献立にはちらし寿司とはまぐりの吸い物をなんていうのは出てきません。関連する事項としてこれかな、と思ったのが、「3月3日は海産物を食べる日」であったこと。

3月の節句は農事開始前の神事で磯で遊ぶ行事が行われていたそうです。それが変形して潮干狩りをする日となり、潮干狩りで取れるこの時期旬のはまぐりやアサリをその場で焼いて食べる風習が東京湾近辺ではよく行われたとか。これも地方によってバリエーションがあるらしいのですが...

はまぐりの夫婦和合云々は婚礼の膳のはまぐりの由来としてよく言われます。それが女の子の節句と混じり、旬の貝類からあさりやサザエが落ちて(そもそもサザエを家庭で料理するのは大変?)、はまぐりが定番として残った。さらにお祝い膳(行事食)= 寿司という連想や、海産物つながり、そして華やかさと簡単にできるなどの実用的な理由で、様々な献立からちらし寿司に収れんした。そんなところでしょうか。いつから、と言われると難しいですが、「定番」とされるようになったのは、少なくとも1980年代後半以降、案外平成に入ってからかもしれません。

調べてる最中に別の面白いことを知りました。三人官女、五人囃子、御膳や丁度を並べる飾り方(なにやら段によって並べ方の決まりがあるらしい)は、関東大震災後、デパートがセット販売するのに始めたものだそう。バレンタインも、土用の丑も、そして恵方巻もひな祭りも、近世以降に世の中に広まった風習は、多かれ少なかれ古い風習を適当に解釈してうまい宣伝文句を考えた商人魂が絡んでいるのかもと思ったのでした。

はまぐりとちらし寿司の献立から始まった探索は、なかなか面白い方向へとたどり着きました。もともと関西の風習であった恵方巻(丸かぶり寿司)が全国に急速に広まった理由のひとつに「献立を考えなくてもメインが一品決まってる(決められてる)」ことがあるそうですが、同様に献立を一から考えるよりも「ちらし寿司」と「はまぐりの潮汁」と決まってるほうが楽ですもんね(スーパーの仕入れも関係したり?)。季節の節目のお祝いは決まった献立、それは忙しい現代人の生活の知恵なのかもしれません。

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