江戸の正月遊び「七福神詣」



七福神って面白いと思うのです。元々この神様たちは全く縁はありません。恵比寿は唯一日本古来の神(異説あり)で、弁財天、大黒天、毘沙門天はインドを起源とし、福禄寿は星宿の神、布袋さんは実在の高僧、寿老人は道教の神様で、福禄寿と同体異名であるとも言われています。いずれも民間信仰的に親しまれてきた神様なので、あちこちのお寺さん、神社に祀られてます(しかもその宗派もバラバラ)。七福神とセットで言われるようになったのは、室町時代とも言われますが起源は明らかではないそうです。由緒も宗派も異なる神様たちを勝手な解釈で一纏めにするあたり、さすが民間信仰です。その後、江戸の人たちは正月のお楽しみのひとつとして「七福神詣」を考えだしました。さしずめ江戸時代のポケモンGOと言ったところでしょうか。七福神詣の元祖は「谷中七福神」だそうですが、向島百花園開園後、園主の佐原鞠鵜の友人たちが遊びで考えだした隅田川七福神詣で有名になり、あちこちに広まったのが今の七福神巡り。ちゃんとした由緒があるわけでもなく、いわゆる「面白いからやってみようぜ」的なものが発端のようです(それこそ江戸っ子っぽい)。そういうのに勝手な解釈をつけると、気づいたら「伝統」になり、拡大解釈されて戦前みたいになってきますから、「元は遊びネタだった」ことは強く言っておいたほうが良い気がします。恐らく旅好き、遊び好きの江戸時代の人たちも、寺社を巡りながらその土地の名所を楽しみ、美味しいものを食べながら遊び回ったのでしょう(酉の市が栄えたきっかけを思うに、きっと花より団子だったと思う)。というわけで、しばらくぶりに近所の深川七福神を巡ってきました。ただ、七福神巡りはルート選定のための口実で、散歩が主。

深川の七福神が安置されている寺社は、すべて戦災で焼けてます。その際一時中止されていた深川七福神巡りが復興したのは戦後です。福笹に七福神を模した鈴をつけて回るか、もしくは色紙に印を捺して貰いながら巡るのが一般的ですが、最近はちゃんと御朱印帳を持って回る人も多いようで、各寺社とも御朱印係は大忙しでした。御朱印帳に書いてもらう場合は少し時間がかかります。なお、色紙を購入すると、その封筒の中には深川七福神会が発行している『深川七福神』という小冊子が入っています。近くの旧跡などの解説もあって読んでて面白いです。

七福神が点在するあたりは、八幡様のお神輿ルートにも近いので、今更迷うことはありません。むしろこのあたりは路地が縦横無尽に走り、昔ながらの家屋や古い業態のお店があちこちにあり、散歩してても面白い場所です。森下から清澄あたりは、相撲部屋が多く、ちょうど明日からの初場所に向けて稽古や相撲甚句の声が聞こえてました。



ブルーボトル進出から急速に様変わりするこのあたり、そんな古い家屋の間に突然妙に洒落たお店が現れます。「あ、こんなところにこんな店が」って見るのも面白いです。


広重の『名所江戸百景』、北斎の『富嶽三十六景』に描かれる江戸の名所「萬年橋」は現存です。江戸時代はもう少し隅田川寄りにかかっていたようですし、もちろん木造では無いのですが、隅田川と小名木川の交点の感じなど、当時とオーバーラップするところも多くて面白いです。富士山が見えないのが残念。


先ほど言いましたとおり、このあたりはブルーボトルをはじめとするカフェの街。あちこちに本格的なコーヒーを出すお店や、妙に洒落たお店が沢山ありますが、一方で森下には明治から続く桜鍋の店「みの家」や、元祖カレーパンのお店「カトレア」、門仲にはこれも明治から続く和菓子屋「伊勢屋」なんかもあるので、新旧楽しむのも良いと思うのです。富岡八幡宮の周りは昔ながらの出店も沢山あるので、それらを見てると昭和な気分にもなってきます。

ルート通りなら、オレンジの「深川七福神」の幟を辿っていけば迷うことはありません。でも、敢えてその道を逸れると面白い下町が見られます。江戸時代の名残を探しつつ楽しめる深川の七福神巡り、普通は7日までですが、ここの七福神の御開帳は15日まで、御朱印等の授与は8時から17時まで行われてます。

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