2017年7月22日

[自転車]蓮ポタリング



江戸時代から蓮の名所として知られる不忍池。とよく書かれますが、『江戸名所図会』とか、広重の浮世絵『東都名所 不忍池』に確かに描かれています。その蓮が今年もそろそろ見頃時期に入ってきてるようです。蓮は早朝に咲き、昼には閉じてしまうので、暑い時期の朝ポタにぴったり。不忍池までポタリングしてきました。

不忍池の蓮は、いつも早く咲くのが野外ステージ付近の展望台のあたりです。蓮の花は朝開いて閉じるを4日ほど繰り返して散るそうですが、今日はまだ1日目、2日目と思われる濃いピンクの蓮が沢山見られました。ちょっと早すぎたか、まだ開ききってないのが多め。7時頃が良いそうですよ(個人的には7時を早朝とは言わないけど)。



弁天堂の周りはもう少しです。ぐるっと回れるルートになっており、この弁天堂を通過してランニングする人が沢山いました。絵馬が琵琶の形をしててかわいいです。


近代に入って、不忍池では競馬だとか、自転車競走とか、博覧会とか開かれたらしいですが、京都三条大橋をスタートし、上野の博覧会会場をゴールとする駅伝が、日本最初(つまり世界最初)の駅伝なんだそうです。意外な発祥の地。っていうか、リレーとはいえ、京都から3日で走ってきてたんですね。


この駅伝について面白そうなので調べてみました。三条大橋から上野までを12.5kmから28kmの23区に分割し、夜を徹して襷を繋いで競走します。選手は公募されたものだったようです。結果的に関東組と関西組の2組に分かれ競走が行われました。今も箱根駅伝のスポンサーである読売新聞社が主催し、三条大橋を1917年4月27日14時に出発、翌々日の29日11時34分に上野のゴールに先に入ってきたのは、関東組の最終ランナーでした。その最終ランナーは、後に「マラソンの父」と言われ、箱根駅伝を企画した金栗四三です。箱根駅伝に金栗杯という賞がありますが、なるほどそういうことだったのかと納得です。途中、沿道警備や渡船関係の時間調整を除き走破記録は41時間44分。2017年5月2日の読売新聞に詳細な走破記録が掲載されているのですが、記録欄のみの情報でもその面白さが伺えます。13区(見付-掛川間)では襷を繋いでからわずか3キロで関東組の選手が負傷、14区を走る予定だった選手が13区-14区とほぼ全てを通しで走ったとか(このため、ここまでずっと東がリードしていたのが、しばらく西が30分ほどリード)、20区の箱根国府津間は、関西組の予定選手が病気で出場できず補欠ランナーが走ったようですが、そのためかここで再び東が5分リード、22区の藤沢川崎間では関西組の選手がハンガーノックで倒れ、23区の最終ランナーが600mほど自動車で送られてそこから走ったとか、長距離走ならではのアクシデント満載で、娯楽の少ない時代にあって、人々を楽しませたのではと思わせます。そもそもこの駅伝競走が企画されたのは、奠都50年を記念して、天皇陛下が通られた東海道五十三次を辿ろうというのが趣旨だったようですが、思いついた人すごいわーと思います。そのエクストリームスポーツが受け継がれて、100年経った21世紀の今も箱根駅伝はお化けコンテンツですもんね。

早朝だけに木陰はまだ涼しかったですが、陽が当たるとやっぱり暑いです。不忍池周りは蝉の鳴き声が盛んに聞こえて、すっかり夏の様相です。なんか梅雨明けしても太平洋高気圧がドンと本州を覆って「梅雨明け十日」と言われるようなスッキリした晴れにはなっていませんが、夏ですね。

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