別府と由布院をめぐる その2

その1 別府編から続く

別府から由布院はバスで約40分。山を一つ越えた隣町です。由布院は湯布院と書かれることもありますが、由布は昔から由布で、隣の湯平村と合併した際に湯布院町になったため。その湯布院町も平成の大合併で現在は由布市になりました。

東京の人間からすると、別府も由布院も大分県、しかも近いこともあって別府・由布院をそれほど区別していませんでした。ところがこの山一つ越えるというのがミソで、1964年に九州横断道路が開通するまでの由布院は鄙びた湯治場だったそうです。戦後間もない頃には由布盆地全体をダムにする構想もあったほど。駐屯地誘致とやまなみハイウェイの開通、そして由布院の人たちが別府を反面教師とし、温泉保養地として由布院を開発しすぎずに育てようとしたことが、現在の由布院の発展につながっています。

と、ここまで調べて実際に由布院に降り立ってみると、由布院は別府とは全く違いました。高度経済成長に続くバブルの時代にはゴルフ場計画や別荘地開発もあったそうですが、幸いにして中心に大きな歓楽街が出来ることなく、大きな宿や高い建物も無いために町の景観が美しいのです。駅から数分歩けば、こんな景色に出会えます。


この日は朝から雨だったのですが、着いてしばらくしたら青空が出てきました。台風が通過した直後で大気の状態が不安定だったのもありましたが、典型的な夏山の天気です。

夏休みの子どもたちが、水辺で遊びます。


この川を遡ると、金鱗湖。


平日なのに観光客が多いのですが、それもまた外国人。今度は由布市の観光統計を見てみましょう。こちらは2018年まで公開されていますが、2010年と比べると外国人観光客数はなんと6倍超(2018年 891,676人)。特にここ数年は毎年200%のペースで増えています。観光客のうち、外国人は約2割。せいぜい6%の別府と比べると外国人が目につくのもわかります。特にこの日のような平日なんて、ほぼ外国語しか聞けませんでした。

1975年、由布院はM6.4の直下型大地震に襲われました。南西の山下湖にあったコンクリート製のホテルが倒壊するなど大きな被害があり、そのために観光客が激減したそうです。復興の一環として取り入れられたのが辻馬車観光。私とほぼ同い年の辻馬車は、今も元気に町を案内しています。


これが思った以上に良い。ゆったり歩く辻馬車に揺られながら、由布院の景色を楽しめます。




佛山寺と宇奈岐日女神社では10分間の停車時間がありました。



宇奈岐日女神社の小川には「ほたるの里」と彫られた石碑があります。辻馬車のお兄さんによると、この辺の小川は蛍が舞うそうです。時期は5月下旬から6月中旬頃だとか。見に来てみたいです。

辻馬車と同じ頃に始まったのが「ゆふいん映画祭」。由布院には未だ映画館がなく、映画上映も公民館などで行われる手作り映画祭だそうですが、それを理解して毎年俳優や監督が手弁当で来てくれているとか。今年は安藤サクラ・柄本佑夫妻がくるそうですよ。

この日の宿は中心街から少し離れたところにある一壺天。この先に自衛隊の演習場があるため、まちなかにある駐屯地とを結ぶ道路は不自然に広いです。帰りに乗ったタクシーの運転手によると「自衛隊の戦車が通れるように作られてる」とか。

ひぐらしの声を聞きながら、お部屋の半露天風呂に入りました。


逆方向には由布岳を望める貸切風呂もあるのですが、残念ながら由布岳は望めず。宿からは最大見えてここまででした。


最後、由布院駅から発つ前に、ようやく全貌を見せてくれました。


大分には「やせうま」というお菓子があると聞いたのですが、別府で見本としてみた「やせうま」の形が「え、これがお菓子?」と思えるもので、すごく気になっていたのです。これもまた最後の最後、由布院の駅近くで食べてみましたよ。要するに、きなことあんみつで食べるきしめん。


由布院からは1989年に開業し、今年で30年になる特急「ゆふいんの森」号で博多へ。



博多からくる折返し列車は中国人観光客を満載して来て、そして由布院からも中国人観光客を満載して博多へ戻ります。みんな手にJR Kyushu Rail Passを持っていてとても羨ましい。JR九州のみの周遊券もあるんですね。この日のゆふいんの森号は3便とも満席でした。大人気。

福岡空港から飛行機で東京へ戻りました。さすが福岡から飛ぶ飛行機はほぼ満席で、しかも大型機でした。

由布院は、地理的特性(あるいは地理的不利)から発展がゆっくりで、盆地のために外からの流入も少なくて開発が遅れ、それが巡り巡って今の時代に合う自然の景観を残しているのだと思います。別府は人口も多く、都会のためにそうはいかなかった。大量のマネーが投下されては引き上げられ、世間の景気に左右されながら乱開発された結果が今の別府。温泉そのものは流石に別府に軍配(優しい単純泉の由布院も嫌いではない)ですが、地域としての魅力は由布院の圧勝という感じ。観光地としてのまちづくりの難しさを考えさせられます。一方で、内需はもう期待できず、双方ともお隣アジアの観光客に頼る割合が増えていて、東アジアの経済状況や日本との外交関係に左右される面は否めません。別府・由布院は近いからハシゴしようという感覚で行ったのですが、比較してみると非常に面白かったです。

というわけで、2泊3日で泉都別府・由布院をめぐる旅は終わり。温泉堪能しました。

参考文献
(1) 猪爪範子. 湯布院町における観光地形成の過程と展望. 造園雑誌. 1992, vol. 55, no. 5, p. 367–372.

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