2005年5月28日

日本で発行されてるのに

このところ、何故か時間のかかる所蔵調査だのモロモロにひっかかって、気持ちに余裕のない私です。

先日は今はその名前が全く変わってしまっているA銀行調査課が作成した、一連の調査資料のうち、大正末期に発行された23号が欲しいという調査を受けました。あっという間に出てきたのが中国の天津図書館日本文庫。そしてHarvard University Library。そう、日本で発行された日本語の資料なのに、大事に取ってあるのは海外の図書館。しかも決して仲良しとは言えない隣人の図書館だったりするのです。

とはいえ、日本で発行された日本語の資料を海外に頼むなんて、図書館員のプライドが許しません。調べるうち、A銀行の今の姿であるB銀行が、倉庫に眠っていた過去の資料たちを捨てようとしていたところを、ある大学が拾ったことがわかりました。さっそく問い合わせをしてみたら、その図書館でも23号は持っていない。とにかく1号でも持っている図書館や銀行図書館といった関連機関に問い合わせをしたけれどもやっぱり出てこない。もう海外しかないのか・・・と思ったとき、そうだ古本屋だと思ったのです。

なんと、ありました。すげー。日本の大学図書館どころか、専門図書館もどこも持ってない100年近くも前の資料を古本屋が抱えてましたよ。古本屋は研究者とかが亡くなると、まとまって資料を引き取ったりするので、案外古い学術文献がポンと出ることがあるようです。これもどっかから流れ出たのでしょう。

しかし、所謂灰色文献(機関内や学会内でしか配られなかったり、流通に乗らないような資料)に近い一次資料は、本当に簡単に捨てられてしまうので、発行した人は責任を持って保持するべきですよね。今「これが歴史」とされているものの多くが、文献から構成されたものであることを考えると、ひとつでも文献が無くなってしまったら、もうそこに書かれたある人の考えや調査内容、ひいてはそれが描いていた「歴史」がすべて無かったことになってしまうんですよ。もちろん企業は倒産も統合も買収もするから、なかなかアーカイブを維持するのは難しいでしょう。どこかに預けるとか、寄贈するとかでもいいから、なるべく保持していこうとする努力はして欲しいもの。価値のある浮世絵の多くが海外でしか見られないという例をあげるまでもなく、図書館でこうして調査をしていると、日本での文献(情報)やそれが伝える歴史というものに対する認識の甘さを感じます。

2005年5月26日

事実は小説より奇なり

asahi.com: 本当の両親どこに 福岡の男性、46歳で別人と判明�-�社会

なんか、『秋の童話』みたいな話、本当にあるんだな~と思ったのでした。そう言えば、イギリスでも記憶喪失で身元が分からず、かつピアノはプロ級という、これまた映画みたいな謎な人がいるそうですね。

小説やドラマといったフィクションは、所詮人間のアタマで考えたことだから、どんなに非現実的に思えるようなことでも、案外現実にあることなのかもしれません。

2005年5月24日

インターネットの歴史

Yahoo! JAPAN - ニッポンの挑戦 インターネットの夜明け[前編] ~ドキュメンタリームービー~

7話 日本版インターネットの誕生まで見ました。プロジェクトX風に作られていて(制作がNHKだから当然か)、結構面白いです。軍事利用が当初の目的だったアメリカと違い、ここまで全く国の影が見えないのが興味深いです。国の影どころか、今もそうですけど、国はいつでも後手後手。今まで見た7話まで国が足をひっぱることはあっても、国が協力したのは「見て見ぬふりをしますよ」と言ったという郵政省の担当者の言だけ。逆に、それがアメリカから10年以上遅れていた日本のインターネットをここまで成長させた要因だったのかもしれません。国はお金だけ出して、口は出さない、見て見ぬふりをするのが一番良いという典型例なのかも(笑)。

7話はTCP/IP導入とWIDE project誕生までですが、WIDEの発足は1988年。私が大学でインターネットを始めるまで、まだ5年もあります。でもあの頃もまだ「繋がったという喜び」を実感できる時代でしたね~。今ではもうその面影もありませんけど。8話以降はいよいよインターネットが大学を出て、「商用」に乗る歴史です。毎回スポンサーの宣伝が入るのがちょっとうざいのですが、結構おすすめ。

2005年5月21日

[movie]ライフ・アクアティック


原題: The Life Aquatic
監督: ウェス・アンダーソン
出演: ビル・マーレイ, オーウェン・ウィルソン, ケイト・ブランシェット, アンジェリカ・ヒューストン, ウィレム・デフォーほか

世界的に有名な海洋探検家にして、ドキュメンタリー映画監督であるスティーヴ・ズィスー(ビル・マーレイ)。しかしこのところ彼の映画はかつての精彩を失っている。最新作撮影中に、彼は「ジャガーザメ」と遭遇、チームの長老エステバンを失う。ところがこの映画は散々の評価を受け、最愛の妻もとうとう愛想をつかしてしまった。そこへ現れたのが、遠い昔に別れた妻の息子。「多分あなたの息子です」とその青年は言うが・・・。


喜劇らしく、最初なんだか単なるネタだけで終わるような映画なのかな~と思ったのですが、ちゃんと最後は感動を与えてくれる映画でした。いつでも行き当たりばったりで、特にこれといった結束力もないのに、「チーム・ズィスー」はどこか暖かくて、良い感じ。若い頃は世界中の子供たちの憧れの的、多くの子供が彼を見て「海洋学者になってみたい」と思った男。その彼に憧れた子供たちが成長して、彼のもとへといろんな形でやってくるのだけれども、でも今の彼は実際のところ、ピークを過ぎ、もう引退も間近のオジサン。彼らはちょっと残念に思いながらも、その憎めないキャラクターに結局離れることができないのです。その「人生の終わりにさしかかた悲哀を感じながらも、どこか憎めないキャラクター」をビル・マーレイが見事に演じていました。『ロスト・イン・トランスレーション』でもそうでしたけれども、そろそろ老人の域にさしかかった男、って彼のイメージにぴったりなんでしょうね。

2005年5月14日

春のバラ

赤と黄色

思ったよりも天気が持ちそうだったので、変更しようと思っていた当初の予定、「ばら苑に行く」を実行することに。相方に三脚を担いでもらって行ってきました。

秋のバラはよく見てるのですが、春バラって実は初めてかも~と思いながら苑内一周。秋よりも春のほうが、私は薔薇よ!って主張してる感じ(多分気のせい)。まだ満開という状態ではなくて、あと1週間後ぐらいが見頃のように見えました。桜とか、梅とか繊細な木の花も良いんですけど、やっぱり薔薇は派手で「花」という感じがしますね。

そんな中、下の「ファースト・ラブ」という薔薇。名前のごとく、繊細な色が私は気に入りました。

ファーストラブ

2005年5月11日

私もあの報道はどうかと思う

事件・事故報道で今一度考えたいメディアの責任と体質(上) - nikkeibp.jp - from ガ島通信 メディア崩壊の現場を歩く

思ってた通りのことをズバリとしてくれる藤代裕之氏のコラム。面白いので毎回読んでいるのですが、今回のは「あれってどうなんだろう・・・」と思ってた報道をズバリと斬ってくれました。

今回俎上に乗っているのは、JR西日本バッシング報道。事故の日にボーリングしてたとか、宴会やってたとか、大事故だと知っていた人が何人いたとか、ホントそれって報道するほどの価値があるのか?と思える些末事を、まるで鬼の首を取ったかのように延々と報道されるので、最近ニュース見るのさえ嫌になってしまいました。


今日も各地で列車は走っています。なぜJR西日本だけがこのような大惨事を引き起こしたのか、なぜ他の鉄道会社は事故が少ないのか。少ないならどのような取り組みをやっていて、JR西日本との違いはどこにあるのか。
(中略)
マスコミの役割は、JR西日本を「裁き」「許す」ことではないはずです。


そうですよね~。日本のあの超複雑と言われるダイヤグラムで、事故が起きなかったのは何故なのか、ダイヤが守られている肝はどこにあるのか、どこかの報道で、東京も尼崎以上のダイヤで運行されている、といった比較がされていたように思うのですが、では同じJRでも東日本と西日本に(運転手の教育や、そのほかの安全システムで)違いはあるのか、とか、いろいろ切り口はあると思うのですけれども・・・。

記事の中に「2ちゃんねる」というレッテル貼りの例が出ていますが、2005年版『日本の論点に』奇しくもこのような記事が出ていました。


表のメディアや教育現場で無条件に良いものとされている人権、弱者、ボランティアといった概念に対する疑問や、自分たちが「正義の味方」だと信じて疑わない者に対する違和感があり、民俗学者の大月隆寛氏は、そのような感情が〈素直に出てきたことは健全だ〉(「AERA」〇四年五月一七日号)と述べる。

([2ちゃんねるについての基礎知識]日本の論点2005年版)


この記事や、最近の疑問はこの「『正義の味方』だと信じて疑わない者に対する違和感」なんじゃないか、その違和感が積もり積もって、あの巨大掲示板が出来てるんじゃないかと思ったのでした。

週一の掲載だったように思うので、この(下)が今日あたり掲載されるかと思うのですが、こうした報道の背景にどのような事情があるのか(下)の掲載が楽しみです。

2005年5月9日

[movie/DVD]めぐりあう時間たち

めぐりあう時間たち DTSスペシャルエディション (初回限定2枚組)
著者:
発売日:2003/11/28
価格: ¥ 3,990
ISBN: B00008K5NN

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原題: The hours
監督: スティーヴン・ダルドリー
脚本: デイヴィッド・ヘアー
原作: マイケル・カニンガム
出演: ニコール・キッドマン, ジュリアン・ムーア, メリル・ストリープほか
2002年/アメリカ/114分/カラー/

『ダロウェイ夫人』をモチーフに3人の女性が描かれる。1923年、精神を病み、療養のためにリッチモンドに移り住んだ小説家ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)は、田舎暮らしに息の詰まるような閉塞感を抱きながら、正に『ダロウェイ夫人』を書こうとしていた。1951年、ロサンジェルス。優しい夫と可愛い息子に恵まれ、幸せを絵に描いたような家で暮らす主婦のローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)は、しかしその夫のために生きることに疲れ果てていた。2001年ニューヨーク。編集者のクラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)は、同性の恋人と暮らしながら、エイズに冒された友人・リチャード(エド・ハリス)の世話に追われていた。現状を倦みながら、それに縛られる女性たち。その末期は・・・。


時代は異なり、またそれぞれの立場も異なりながら、「女性としての人生」に縛られ、もがき、そして何かをつかみ取るために戦う、というその類似に、同じ女性として悲しさを覚えました。女性にこそ共感される映画じゃないかと思うのですが、私がその象徴かなと思ったのが、クリスとクラリッサが対峙するシーン。クリスが「リチャードと別れて、ヨーロッパを旅したときに解放感を感じた」と話したときの、クラリッサの非常に微妙な表情。多分そこで起こったであろうクラリッサの葛藤と諦観、そしてローラとクラリッサが出会ったときの、ローラの打ち明け話との対比。3つの時間が実際に交わるのは『ダロウェイ夫人』という作品と、この出会いの場面だけなのですが、どうしてどうして、そのほんのわずかな接点が、見事に「女性の人生」を表現していて脱帽です。

私はいろんな意味で「女のくせに」とか「女らしく」という言葉が嫌いですが、嫌いだと思えるだけ、やはりそれに縛られてるんだろうな~とこの作品を見て思ったのでした。

2005年5月5日

[movie/スカパー]ノッティングヒルの恋人

ノッティングヒルの恋人

発売日:2005/03/02
価格: ¥ 2,625

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原題: Notting Hill
監督: ロジャー・ミッチェル
出演: ジュリア・ロバーツ, ヒュー・グラントほか
1999年/アメリカ/124分/カラー

ハリウッドの人気女優であるアナ・スコット(ジュリア・ロバーツ)は、ロンドン滞在中にノッティングヒルの片隅にある書店を気まぐれに訪れた。書店主のウィリアム(ヒュー・グラント)はビックリ仰天。しかもその後、再びアナと出会ったスコットだったが。


うぉーなんて映画だ。ジュリア・ロバーツが本屋を訪れるところまではよしとしましょう。偶然の再会もまあこういう映画だから可としましょう。が、なんでそこでジュリアはこの何の取り柄もない朴念仁(失礼)に惚れてしまうのか、わけわかんないです。しかもジュリア扮するハリウッド女優はすんごいひどい人で、朴念仁君は振り回されるばかり。ラストもまた、「ローマの休日」を引き写しながら、どこか間違ってる・・・そんな印象の映画でした。何もハッピーエンドにしなくてもよかったのにねえ。やっぱり夢の人は夢の人だった、そのほうが美しい気がするんですけど。そう思いません?

2005年5月4日

でた、ジャニーズ制限

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - 義経公東下り 過去最高の25万人 岩手・平泉町

これって報道写真として絶対変ですよね~。メインが切れてるじゃん、って思うもん。ジャニーズの写真制限ってこんなところまで及んでるんですね。

[movie/スカパー]太陽がいっぱい

太陽がいっぱい

発売日:2002/10/25
価格: ¥ 3,990

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原題: Plein soleil
監督: ルネ・クレマン
出演: アラン・ドロン, マリー・ラフォレ, モーリス・ロネほか
1960年/フランス・イタリア/112分/カラー

トム・リプレー(アラン・ドロン)は貧乏なアメリカ青年。彼は友人のフィリップ・グリーンリーフ(モーリス・ロネ)を5000ドルの礼金の契約で連れ戻しにやってきた。ところがフィリップは一向に手紙を出そうとしない。それどころか、トムが邪魔になってきたフィリップは彼を邪険に扱う。なんとかして金を手にいれたいトムは、策略をめぐらし、フィリップを刺し殺して死体を海に捨て、フィリップになりすますことにしたが・・・。


犯人側から描く作品は、基本的に面白いんですよね。当然犯人は捕まりたくないので、いろいろ策略を巡らす。しかし警察だってアホじゃない。迫り来る捜査網と、それを騙そうとする犯人。そのハラハラ感さえうまく出せれば、脚本家の勝ちだと思うのです。これでもう完全犯罪成立、と思ったときに・・・ああやっぱり。というオチでしたが、やはりアラン・ドロンの憎たらしいまでの美しさと、その捕まる恐怖感からくる慌てぶりとのミスマッチ、そしてなんとなく彼に肩入れしたくなるような作りが映画の面白さに繋がってるかな思ったのでした。ちらっと見たリメイク版「リプリー」は少しあらすじが違ったような記憶があるのですが、あっちも見てみようかな。

2005年5月3日

自分のことを振り返ると、ちょっと疑問もあるけれど

「保護者のインターネット知識不足は子どもの進路に悪影響」--英調査 - CNET Japan

私の家では「ネットジャンキー」と言えたのは私だけでした。親はパソコン全然触らないし、母親に至っては電源の入れ方もわかってませんでしたし。妹もそれほど興味があったわけじゃなく、今でもメールくらいしか使ってないと思います。

ただ、小学生のとき、親が私にパソコンを買い与えた、というのはやはり最大の分岐点だったと思うので、親の知識不足とかそういうことよりも、そういった環境に子供の頃から触れさせるかどうか、というのは重要な点かと思います。とはいえ、時代的に私はラッキーだったのでしょう。あのころはウィルスなんて遠い世界の話でしたし、家庭からインターネットなんて状況が発現するのはさらに10年待たねばなりません。今なら買って貰えたかどうか。当時パソコンを買った親もまた、高いおもちゃ程度で、パソコンが害になるなんて(逆に利益になることも)考えてもいなかったでしょうから。

今、インターネットの世界を知らない親たちは、所謂「ネットは社会の敵」とみなしているマスコミの情報しか触れてないわけですよね。「ネットはせいぜい仕事でメール」程度しか使わない人と「2ちゃんねる」の話をすると、その認識の違いを強く感じるのですが、実際のところネットは社会にかなり広く浸透しているし、特に海外の情報に関してはネットで取るのが一番速い。学問の世界もそうで、海外のデータベース量は日本の比じゃありませんし、学術雑誌の多くが次々無料でネット公開されている中で、ネットが使えないことによるハンディは計り知れないものがあります。「この論文、国内で所蔵が見つからないみたい」と言われて、図書館員が最初にすることがネットで公開されていないか調べることですからね。なので、


「インターネットの利用方法を知らないことは、教育や就職などにマイナスに影響する」(Livingstone)


という部分には賛成です。でも、「保護者がインターネット知識不足が子供の進路に影響する」わけじゃなくて、「親がインターネットを必要以上に恐れ、子供をインターネットから遠ざけようとすることが悪影響を与える」ってことですよね。

最近大学にいて思うのは、「パソコンが普通に使える」ことは「読み書きが出来る」レベルと同じになってきたな~ということ。4,5年前まで、「クリック」で止まっていた説明が、今ではそこで説明が躓くことなんて無いですから。キーボードを見て「打てない」って言う子もいませんし、逆に「この記号」をどうやって出すのか聞くこと自体が恥ずかしいといった雰囲気。今の子たちはどうやってパソコンのことを習うんだろ~と思う今日この頃なのでした。

2005年5月1日

[movie]ベルリン、僕らの革命


原題: The Edukators
監督・脚本: ハンス・ワインガルトナー
出演: ダニエル・ブリュール, ジュリア・ジェンチ, スタイプ・エルツェッグ, ブルクハルト・クラウスナー

理想を掲げ、現在の体制と資本主義に疑問を呈するヤン(ダニエル・ブリュール)は、彼のルームメイトであり親友でもあるピーター(スタイプ・エルツェッグ)と共に、金持ち宅に押し入り、家具などを動かしてメッセージを遺す「エデュケーターズ」だった。ピーターが旅行に行っている間、ピーターの恋人であるユールの引っ越しを手伝ったヤンは、彼女がある事故から莫大な借金を抱えていることを知る。ユールを慰めるため、エデュケーターズのことを打ち明けてしまうヤンだったが、それが思わぬ事態を引き起こし・・・。


ドイツでも日本と同じような学生運動の歴史があり、そして同じように鎮圧されたということです。日本はその後も民主主義・資本主義国として今に至りますが、東ドイツは共産圏として生き、そして冷戦の終焉と共に共産圏はことごとく崩壊し、ドイツは国が東西統一して今に至るという歴史があります。今ドイツでは、その統一後の貧富の差が広がるばかりで、いわゆる勝ち組負け組を作り出す資本主義に対する国民の不安・不満が言われているとか。そう言えば中国のデモも、貧富の差がもたらす不満が、あの形で爆発したという説もあります。かつての共産主義国は、いろんな意味で資本主義の猛威にさらされて、何か大切なものを失おうとしているのではないか、という焦燥感が強くあるのかもしれません。多分、そうした小さい不平不満から、今のシステムに反対はしない派と、今のシステムではもう我慢できない派のバランスが崩れたとき、革命が起こり、次のシステムが突然現れるのでしょう。それがいつ、どのような形で現れるのか、ということを考えたとき、今の経済システムに組み込まれ、平和に暮らしている人々にしてみると、そうした火種は少しでも見逃すことはできない、というのはよくわかります。だからやりすぎちゃダメ。アメとムチをちゃんと使い分けられる政治家が現れることが必要です。ただ今はまだ、その次のシステムを提唱する人もいないし、そうした革命への原動力となるような何かが見えないこともあり、この体制はしばらく続くんじゃないかと思いますけど。

何かを変えてやろうと、非力なことは認識しつつも頑張る彼ら。ただこの映画は、政治的な議論は行われながらも、全体として政治色は薄いんですよね。理想に燃える若者を描いた青春ドラマという感じ。そして、その雰囲気のまま、ラストは甘い終わり方をするのかと思ったら・・・おお!なかなかやりますね。結構すかっとする映画でした。若い人のほうが楽しく見られるんじゃないかなと思います。